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Japanese Dream
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"You're either doing great or you're doing awful": what an Oregon founder saw about Japan only after leaving it

「アメリカでは、うまくいっているか、ひどいかのどちらかなんです」オレゴン出身の起業家が、日本を離れて初めて分かったこと

ニックさんはアメリカのオレゴン州の出身だ。今は福岡に住み、日本への移住を考える人を手助けする会社、Japan Remotelyを経営している。

移住の道のりは、ほとんど自分で歩いてきた。最初に日本に来たのはJETプログラムで、鳥取の小さな町で国際交流員として働いた。そのあと東京。カリフォルニアに移り、パンデミックが来てオレゴンに戻った。

そのころにはリモートで働いていて、日本が恋しかった。戻る道を探し始め、そのひとつが起業だった。

起業には、もうひとつ良い点があった。東京でなくてもいいのだ。

日本で外国人が就ける仕事は、ほとんどが東京にある。そして彼は、東京には戻りたくなかった。

「大きすぎるんです。東京に住んでいたときは、街から出られないような、閉じ込められた感覚がありました」

街を出るにも計画が要った。そして東京は高い。もっと小さくて、生活費の安い街がいい。ただし、何もないところは困る。

だから条件を並べた。ビジネスの人の輪があること。空港があること。できればインターナショナルスクールがあること。すぐに通わせるつもりはなかった。ただ、日本の学校は子どもにとって大変なこともあるので、もしものときの選択肢がほしかった。

神戸も候補だった。仲の良い友人がいるからだ。以前住んでいた場所の近くの岡山市も好きだが、空港は山の中にあり、インターナショナルスクールも見つからなかった。

そんなとき、福岡の友人が福岡を勧めてくれた。海があって、ゆったりした暮らしがある。彼が求めていたのは、家族にとっての良い暮らしだった。

どうやって選んだのかも聞いた。47都道府県のうち42を訪れている人なので、その答えは聞こえる以上に意外だ。

福岡が選ばれた理由の一つは、知らない街だったからだという。来たのはずっと前に一度、それもほんの短い間だけ。九州にもほとんど来たことがなく、別府に旅行したくらいだった。

日本はよく知っている。でも、この土地は知らない。その組み合わせが魅力で、それは今も続いている。鹿児島にはまだ行けていない。最近は佐賀の唐津に行って、気に入ったそうだ。

JLPTはN1に合格している。それで十分だと感じるかを聞いた。

日常生活には困らない、と言う。昔から一番弱いのは漢字だった。多くは見れば分かるし、文の中なら、その字を知らなくても意味を読み取れる。本人いわく、ずるをしているようなものだ。そろそろまた本を開こうかと考えているという。

それから銀行。今でも怖いそうだ。事業用の口座となると、難しいことを聞かれる。

担当の銀行員は、Stripeを知らなかった。だからニックさんは、ネットでのカード決済の仕組みを、窓口で日本語で説明することになった。

「クレジットカードを持っている人がいて、その人は自分のお金を持っていなくて、だから他人のお金を使うんですけど、それを決済の……」

指させる日本の同じようなサービスの名前を知っていれば、もっと楽だったと彼は言う。そのときは思いつかなかった。銀行員は最後には分かってくれた。

以前、日本語でとても良いメールが書けるようになったと書いていた。良いメールとは何かを聞いた。

型だという。書き出しの決まった形と、締めの決まった形がある。英語よりずっとかしこまっていて、英語なら挨拶もなく、いきなり用件に入るメールもある。型を覚えて、相手には、とくに社外の人には正しく敬語を使い、自分のことは謙譲語で書く。

今は自分のメールに自信があるそうだ。

今回は子ども2人を連れて戻ってきた。息子さんは日本の公立の学校から、漢字を書くのが楽しかったと帰ってくる。一方で、校庭の遊びの決まりが分からずに困っている。そのどちらが、子どもがここに馴染めるかを決めるのか。

人付き合いのほうだ、という答えだった。そこは今も苦労している。

「日本はルールが多すぎる」

息子さんの言葉だ。学校の正式な決まりだけではない。子ども同士の暗黙の決まりもあって、いつも何かを破っている気がするという。

それでも一生懸命やっている。先生たちは支えてくれる。そして何か間違えても、友達はすぐに許してくれる。

ここからは、彼の仕事の話だ。日本に移住したいという人が彼のもとにやって来る。その人たちは、何を思い違いしているのか。

多いのは、日本で起業したいけれど、どこでも起業したことがない人だ。

起業は大変だ。日本への移住も大変だ。両方を同時にやるのは、本当に大変だ。

だから彼は、まず今住んでいる場所で、小さく何かを始めるよう勧める。法律も、言葉も、人の考え方も分かっている場所で。本人が気づいていない強みがそこにある。農業をやりたいなら、きゅうりを育ててファーマーズマーケットに持っていく。民泊をやりたいなら、いくつか泊まってみて、何が良くて何が悪かったかを考える。

そうすれば、日本での暮らしが始まるときに、ビジネスの部分はまったくの初めてではなくなる。

もうひとつよく見るのが、今までのキャリアとまったく関係のない分野を選ぶ人だ。自分がすでにできることに、地元でもネットでも需要があることに気づいていない。

「日本を、自分を作り直す場所だと考える人は多いんです。私も含めて」

ひとつずつやればいい。

経営・管理ビザは、必要な資本金が500万円から3,000万円に上がり、申請は96%減った。アメリカから来たい人にとって、何が変わったのか。

彼の見立てでは、このビザは今や、すでに事業を持っていて、それを日本に広げられる人のためのものだ。それ以外の人は、形を変えるしかない。最近彼が力を入れているのは、パートナーシップだ。ほかの人と組む、あるいは日本の会社と組んで、顧客を連れてくる。

外国人かどうかに関係なく、日本は新しい事業の前に壁を置く、と彼は言う。リスクを避ける社会だ。事務所を探す、部屋を借りる、口座を開く。それを素早くできることが、前より大事になった。そして彼の顧客の多くは、それを全部一人ではやらない。

そして、一番聞きたかったことを聞いた。日本を離れてから初めて分かったことは何か。

自分の答えは少し物議を醸すかもしれない、と彼は言う。日本の生活費がどれだけ安いか、分かっていなかった。

ふつうの意味での「安い」ではない。彼が言いたいのは、身動きが取れる余裕のことだ。20代で日本にいたころ、お金のことはあまり心配しなかった。仕事を失っても失業手当があり、次の仕事もある。

アメリカでは、仕事を失うと健康保険も失う。仕事を探しているあいだも生活費はかかり続ける。その間に事故や病気が重なると、危険なことになる。

「アメリカでは、うまくいっているか、ひどいかのどちらかなんです。その中間があまりない」

だからこそ日本は、何かを試したい人に向いている、と彼は考える。社会の仕組みと生活費の低さが、試す余地をくれる。ここで難しいのはお金ではない。在留資格だ。

日本を離れたことで、お金の自由を失った。当時はそれに気づかなかった。

恋しいのは家族だ。両親は年を取ってきていて、距離はどうしようもない。行き来できるときに会うしかない。それが戻ってくることの代償だと彼は言う。

良いところは、気づきにくいけれど、感じやすい。ここは暮らしやすい。よく歩く。毎日の歩数を見て、その数字に満足している。

アメリカでは車だ。小さな町でも、スーパーは歩いて行くところではない。オレゴンで住んでいたところからも、行こうと思えば歩いて行けた。片道1時間だが。

最後に、東京や大阪ではなく、福岡を考えているアメリカの人へ。まだ来たばかりで、この街についてはまだ詳しくない、と前置きしたうえで答えてくれた。

できれば、収入は持ってきたほうがいい。東京に比べると、そして大阪に比べても少し、地元の仕事は多くない。それがこういう街の本当のコストだ。岡山や金沢も同じ。住むにはすばらしい。それでも、どう稼ぐかは考えなければならない。

福岡にはスタートアップがある。ただ、ビザを出す余力がどれだけあるかは分からない。だから福岡に来るには、一歩ではなく二歩かかるかもしれない。エンジニアなら、まず何年か東京で働く必要があるかもしれない。

息子さんと一緒に、福岡のゲームスプリントに行ったことがある。主に大学生がチームを組んで、2日間でゲームを作る。福岡が日本の次のシリコンバレーになろうとしているのは、よく分かる。

それが外国人にまでどこまで及ぶのかは、まだ分からない。それを確かめるのは、これからだ。

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