日本で生まれ育ち、10代後半までは日本しか知りませんでした。もっと広い世界を見てみたい、そしてバスケットボールの本場であるアメリカでプレーしたい。そんな思いから、高校2年生に上がるタイミングでオクラホマに渡り、アメリカの高校に通うことになりました。
渡った時点で英語はゼロ。家族も知り合いも一人もいない土地でした。しかも守られた留学生としてではなく、現地の生徒に混ざって授業を受け、部活も最後までやりきりました。人とのコミュニケーション、学校の勉強、英語、そしてバスケの練習。そのすべてを毎日一から積み上げるところからのスタートでした。
その後、カンザスのセントラル・クリスチャン・カレッジに進学し、サンディエゴ州立大学に編入。経営学を専攻しました。日本で自分の会社を経営する父の姿を見て育ったことも、その選択に少なからず影響しています。日本人がいちばんつまずくと言われる編入の手続きも、すべて私自身の足で通ってきました。
卒業後はロサンゼルスで就職しました。その後ウェストバージニアへ転勤し、またロサンゼルスへ戻っています。アメリカ人の上司の下で働き、他の国から来た部下を持つ経験もしました。学生としてのアメリカも、働く人間としてのアメリカも、どちらも通しで経験しています。
2022年、アメリカでの生活はちょうど17年に達していました。それは、日本で育った年月とまったく同じ長さです。そのバランスに何か意味を感じ、これまで培ってきたものを日本に持ち帰る時が来たのだと思いました。現在は福岡を拠点に、日本でのキャリアの次の章を築いています。

この17年は、順調な時期ばかりではありませんでした。2014年にプレー中の接触で左前腕を完全骨折し、数年後には同じ場所を同じように折って、腕だけで三度の手術を受けています。その後も腰痛、肩、股関節、坐骨神経痛。日本に戻ってからは膝の半月板を痛めました。ひとつを必死に治して体がようやく安定したと思うと、また別の場所に問題が起きる。その繰り返しでした。

それでも私には「ピンチをチャンスに変える」というモットーがあります。大切なのは倒れないことではなく、何度でも立ち上がること。身長は約172cmで、ダンクに恵まれたサイズでは決してありません。それでもリハビリとトレーニングを地道に積み重ねて、今もダンクに挑み続けています。その過程はジャンプトレーニングのページにまとめています。

キャリアを築くことも、ビジネスを立ち上げることも、語学を身につけることも、やり方は同じだと思っています。一気にレベルアップすることも、いきなり成功することもありません。小さな積み重ねが形になったときに、初めて結果が見える。だからこそ、日本語やキャリアのサポートも、アメリカへ挑戦する方のサポートも、私が実際に通ってきた道の話としてお伝えできます。
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