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Japanese Dream
Yoshi Takada

Yoshi Takada について

今いる場所から、​一歩外へ出ようとする人を支えます。

日本でキャリアを築きたい方、アメリカへ挑戦したい方、日本語や英語を本気で身につけたい方を、言葉と文化の両側に立ってサポートします。

すべてはゼロから始まります

はい上がるしかありません。​何事においてもはい上がるしかありません。

楽なことなんて一つもありません。​とにかくどん底から上を目指すのみ。

どれも自分が思い描いた​100%ではありませんが、​同時にゼロでもありません。

少なくとも確かな事は​前に進み続けている事。​それがとても重要なんです。

アメリカでの17年

私のストーリー

2005年 オクラホマ

日本で生まれ育ち、10代後半までは日本しか知りませんでした。もっと広い世界を見てみたい、そしてバスケットボールの本場であるアメリカでプレーしたい。そんな思いから、高校2年生に上がるタイミングでオクラホマに渡り、アメリカの高校に通うことになりました。

渡った時点で英語はゼロ。知り合いも一人もいない土地でした。しかも守られた留学生としてではなく、現地の生徒に混ざって授業を受け、バスケ部にも入りました。人とのコミュニケーション、学校の勉強、英語、そしてバスケの練習。そのすべてを毎日一から積み上げるところからのスタートでした。

2006年 カンザス / 2008年 サンディエゴ

その後、カンザスのセントラル・クリスチャン・カレッジに進学し、サンディエゴ州立大学に編入。経営学を専攻しました。日本で自分の会社を経営する父の姿を見て育ったことも、その選択に少なからず影響しています。日本人がいちばんつまずくと言われる編入の手続きも、すべて私自身の足で通ってきました。

サンディエゴ州立大学のキャンパスにて
ロサンゼルス・ウェストバージニア

卒業後はロサンゼルスで就職しました。その後ウェストバージニアへ転勤し、その1年後またロサンゼルスへ戻りました。アメリカ人の上司の下で働き、他の国から来た部下を持つ経験もしました。学生としてのアメリカも、働く人間としてのアメリカも、どちらも通しで経験しています。

2022年 福岡

2022年、アメリカでの生活はちょうど17年に達していました。それは、日本で育った年月とまったく同じ長さです。そのバランスに何か意味を感じ、これまで培ってきたものを日本に持ち帰る時が来たのだと思いました。現在は福岡を拠点に、日本でのキャリアの次の章を築いています。

度重なるケガ

この17年は、順調な時期ばかりではありませんでした。2014年にプレー中の接触で左前腕を完全骨折し、数年後には同じ場所を同じように折って、腕だけで三度の手術を受けています。その後も腰痛、肩、股関節、坐骨神経痛。日本に戻ってからは膝の半月板を痛めました。ひとつを必死に治して体がようやく安定したと思うと、また別の場所に問題が起きる。その繰り返しでした。

ギプス、プレートが入った左前腕のレントゲン、実際に体に入っていたプレートとネジ
それでも私には、このモットーがあります
「ピンチをチャンスに変える」

大切なのは倒れないことではなく、何度でも立ち上がること。身長は約172cmで、ダンクに恵まれたサイズでは決してありません。それでもリハビリとトレーニングを地道に積み重ねて、今もダンクに挑み続けています。その過程はジャンプトレーニングのページにまとめています。

キャリアを築くことも、ビジネスを立ち上げることも、語学を身につけることも、やり方は同じだと思っています。どれも一気には上がりません。

このマインドセットのまま、人を支えたいと思っています。今はまだ日本で働く姿が想像できない方。日本語をゼロから始める方。英語は話せないけれどアメリカに行きたい方。何度も壊れる身体を作り直したい方。そのどの道も、私はスタート地点に立ったことがあります。だからこそ、日本語やキャリアのサポートも、アメリカへ挑戦する方のサポートも、私が実際に通ってきた道の話としてお伝えできます。

できること

こんな方をサポートしています

基本情報

プロフィール

出身
福岡
アメリカ滞在
17年(2005〜2022)
言語
日本語(ネイティブ)、英語(ネイティブ)
学歴
サンディエゴ州立大学 経営学
身長
172cm
体重
68kg
趣味
筋トレ、バスケ、ヨガ、ガーデニング、コーヒー、投資

今いる場所から、一歩外へ。

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